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江戸さい子の兄、富永藤兵衛について
「病床に自己の法名を作る」奇人 富永藤兵衛氏逝去
大阪の奇人富永藤兵衛氏が年来の宿病腎臓萎縮で去る十一日午後六時遂に逝去した。氏を指して奇人変人と呼び自らも任じていた程その生前の挙動ことごとく皮肉と奇行で終始していた堺に生まれた氏は十九才の折厳父に死別してより好くその薄幸な運命の局面を展開し大阪に綿糸商を営み多くの製糸会社や電鉄会社(高野鉄道、播但鉄道重役)に関係して知られていたか、中年に至って夫等の関係を断ち一時本紙前身大阪日報に入社した事あり公益事業に携わりてより多く知られている即ち明治四十二年五月振替貯金制の建議案を逓売捌に対し特に廃兵遺族に優先権を与える事を当局に陳情し之も採用され長崎、和歌山、福岡、前橋、甲府、宇都宮各市の徽章を考案しまたは郵船会社の新造船の命名等に尽くして限りがなかったが一昨年の夏頃寵児平太郎君が病死してよりに頓気力が挫け昨年春以来病臥していたのである氏は号して藤華と呼び享年五十才人生五十尽きるを知って病床に友岸至心信士の法名を作り死亡広告の原稿を作製した等また奇中の奇と云うべきである。
(関西日報 大正十年六月十六日)
富永藤兵衛は高崎市の紋章も作ったようである。
江戸さい子の兄、富永藤兵衛は戸籍上は富永友次郎であったが、父の死後、父の名である藤兵衛を継いだようである。
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富永藤兵衛(34歳の時)、明治38年写す
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