江戸さい子の歌集「にひしほ」と足跡      

訪問者数 今日:0019人  昨日:0016人  集計:038452人


アーカイブス

与謝野晶子が江戸さい子宛に出した葉書


                    

昭和6年4月4日

拝復
御事多きなかにて私どもの揮毫會のことに多大の御心づかひを頂き甚だ相済まぬ事と存じます。いつでも三越支店の御都合のよい時にお催し下さいまし。かゝる事にてこの上お心遣いを下さらぬやうにお願い致します。支店よりも御懇切なお手紙を頂きました。御礼申し上げます。



                    

昭和6年4月17日

何れより散るもましろし山ざくらことなる夢を見るに似たれど  晶子
人を見て何か云ひつつ花を背に銀紙の太刀を抱く男かな   寛
春の日や流れもしばし仮装して低きを行きぬ花を載せつつ  満子
                    四月十七日 小金井にて



                    

昭和6年5月2日

拝復
御礼申上候。早速書肆より御送り致し候。書きもの御配慮忝く存じ申候。お歌いかにや。 草々
      東京市外、下荻窪
      三七一  与謝野晶子
   五月二日



                    

昭和8年4月30日

いろいろと御心配をおかけして恐れ入ります。お世話下された人人によろしくお頒ちを願います。一寸こゝへ参りましたが明日は歸京致します。お歌をお見せ下さいまし。
          鎌倉にて、天長節
            与謝野晶子



                    

昭和8年9月8日

拝復 ごきげんよく入らせられおよろこび申上候。堀氏令息の画會にお世話下され御礼申上候。さてお尋ねのこと、以前に「歌の作りやう」、「晶子歌話」の二冊に有之候へども、古本屋からでは見つかるまじく候。「冬柏」の歌を口に吟じてお味ひ下さることがよろしからんと存じ申候。書きもののこと御配慮被下御禮申上候。急ぎ申さず候。お序に御主人様におよろしくお伝へ被下度候。御詠草うれしく存じ申候。 八日



                    

昭和10年6月11日

先月末より昨日まで病臥いたし居り候ていろいろ失礼のみいたし候。もはやよろしく候へば御安心下されたく候。御歌ありがたく存じ候。那谷の秋の色と寒かりしお寺の室のかの折のやうに私もおもはれ候。月日のたち候こと何のかひありともおもはれず日夜涙のみながれ候。



                    

昭和10年7月5日

一昨夜歸京いたし候。先づ無事に候へば御安心下され度たく候。出羽までまゐり候もどうでもどうでもとおもふ哀れなる心よりに候。反抗しがたき大いなる力とはこと変れる人間のいふ事は何でも従ひておかんとこの頃はこの様なる心になり居り候。百ヶ日の歌会には六十人ほど出席さるゝ由に候。

わがかれる湯治ざしきも窓あれどくらしいではの山のさみだれ
  晶子



                    

昭和10年7月28日

この間はお手紙を下されありがたく存じ申候。このはがきをものの中より見いで候にかゝる何にてもなき事にやるせなく昔のこひしくなり申し、この世をおなじごとおゝもひ下さる方にとかくまゐらせ候。荻窪は夜蚊の多く候て夏は心のおちつかず候。御機嫌よろしく御くらし遊ばすべく

ここに二夜とまり候ひしか



                    

昭和10年8月19日

旅よりのおたよりうれしく存じ申候。御機嫌よろしくて何よりのことに候。私二日より南信へまゐり、また北信へ和田峠をこえてまゐり候がおちつき候ひしところは去年故人とゝもに宿りし山にていろいろのことのおもはれ申候。御うた来月ころおまちいたし候。



                    

昭和10年11月16日

先日はお忙しき時間をおさき下されうれしく存じ候。九日のことの新聞まだ残り候ことゝ冬柏のために相すまして失礼いたし候。今夜は京めしきしぐれの音のしてものさびしく候。夕方は佐藤春夫さんがなぐさめに来て下され候。おちばますますうづ高くなり申候。風邪をおひき遊ばさぬやう祈り候。



                    

昭和11年9月26日

啓上 何とも申しわけなき御無沙汰をつづけ申候こと御ゆるし下されたく候。あまりに暑き日の多かりし夏ののち今も呆け居りしに先日一寸会津に参り一週間ほど居候ところ今度の旅にすこし脚気なども起り疲れをしり申候ひしがもはや宜しくなり申候。御清安を祈り候。



                    

昭和12年1月?日

新春の御賀を申上後れ候。むすめ藤子が奮冬よりのいたつき漸く癒えて候へば、この度駿河の興津の浦へ伴ひ参らんと存じ候に際し、懈怠の御詫びを申上候。
 昭和十二年一月
               與謝野晶子



                    

昭和12年7月15日

啓上 御子息様の御わづらひ候てきくも御心いためさせたまひ御いとほしくのみ存じながら御たづねも之いたさず手紙をつゞけ申候を御ゆるし下されたく候。もはや御帰宅遊ばされしやとも存じ、大阪にやとも存じ????????????????。
 七月十日
               與謝野晶子
     あなた様もおからだをお大事に



                    

上記絵葉書の文章書写

俣野肇氏の知人である書道講師、杉森景宝(杉森美恵子)様に書写して頂きました。一部「ながら御たづねも之いたさず」の部分が抜けておりますが、原文が絵葉書の模様と重なっていないので読み解きやすいものになっていると思います。しかしながら、上述の末尾部分「????????????????」は今も解読不能です。

どなたか読み解いて頂ける方はいらっしゃいませんでしょうか?

その後、歌人・国文学者の長澤美津女史(故人)の御子息でいらっしゃる長澤重夫氏のご協力で「????????????????」の部分は「満づ王お當く耳わ飛申し上介候」(まづわおたくにわび申し上げ候)と一応読み解くことができましたが、これで本当に正しいのかどうか・・・。



                    

昭和12年9月5日

啓上 御無沙汰を例のことのやうにいたし居候こと御恥かしく存申候。今年の残暑殊の外に候ひしも御病気の丶ちの御子様におさわりなく候ひしや。秋風のことさら身にしみて思召すべき年とおいたはしく存じ上げ候。



                    

昭和13年1月14日

新春の御賀を申上候。松のうちも過ぎんといたし居り候にかく心おくれたるものの御挨拶致し上ぐるを御許し下されたく候。
 一月十五日
               與謝野晶子

かゝるいとなみは御遠慮いたすべきと知り居り候へども御機嫌うかがひに代へて御子息様御全快遊ばされ候や。



                    

昭和17年1月7日

母晶子の容態が悪化しました
御報申上げます
 一月七日 午後二時
    杉並区荻窪二ノ一一九
       与謝野 光



                    

昭和17年5月29日

母輿謝野晶子儀永々病気の處本日午後四時三十分死去致しました右御知らせ申上げます
   追て來る六月一目午前十時三十分より十一時三十分まで青山齊場にて佛式
   により告別式を營みます 猶御供物の儀は時局柄堅く御辭退申上げます

 昭和十七年五月二十九日   東京市杉並區荻窪二ノ一一九
                 男    輿謝野 光
                          秀
                          麟
                          昱
                          健
                 親戚総代 小林 政治
                 友人総代 平野 萬里
                 新 詩 社 同 人 一 同

にひしほ nihishiho@yahoo.co.jp
Copyright (c) 2008 nihishiho. All right reserved.