江戸さい子の歌集「にひしほ」と足跡      

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江戸さい子ゆかりの人々


                     差出人:"Emiko Ishigaki Perry"
                     宛先:"Shigemitsu Shin"
                     件名:RE: 江戸さい子先生のこと
                     日時:Wed, 21 Jan 2009 11:07:06 -1000
                    
                     新 重光 さま
思わぬ方からメールをいただき、驚きながら興奮しています。
金沢に疎開して、北陸女学校で学んだとき、江戸さい子先生は国語の先生でした。
「ひさかたの光のどけき春の日にしずこころなく花のちるらん」という百人一首を、 すらすらと黒板に板書されたときの様子が いまもあざやかに甦ります。
私の母・吉村繁も北陸女学校の教師でした。母(故人)も北陸女学校出身で、生徒時 代に江戸先生から学んだようです。(母は短歌は詠みませんでした)。
「北陸女学校五十年史」に、江戸先生のお写真が一ページ全体に大きく載っていたこ とを憶えていますが、今は手許にありません。
北陸学院には多分、保管されていることでしょう。

ライザー(故人)からは、母も私も教えていただきました。なつかしい思い出です。

江戸先生は、貴方様がつくられたホームページにもあるように、北陸女学校では国語 教師を、第2高女や金城女学校、藤花女学校では、歌の指導をされていたようです。
有名な歌人・長沢美津先生(故人)も、第2高女時代に江戸先生から短歌の手ほどき を受けたとのこと、ご次男の長沢重雄氏が言っておられました。
長沢重雄氏も歌人で、日本歌人クラブ発行のバイリンガル短歌誌THE TANKA JOURNAL に日・英・葡の3言語で短歌を投稿されています。私が日本にいたころは、長沢氏と 親しくさせて 頂いていましたが、今は疎遠になっていますが、彼のアドレスを探してメールしてみ ます。
長沢美津を検索してみましたが、残念ながら、江戸先生のことは載っていないようで す。

私は現在、ハワイに住んでいて、ハワイ潮音詩社短歌会というのに属し、毎月、歌会 に出席しています。メンバーの中に、村上明子さんというかたがおられ、金沢出身 で、第2高女時代に
江戸先生から習ったということを、以前、話しておられましたので、電話して聞いて みます。多分、メールはなさらない方だと思います。

貴方様の江戸さい子ホームページは素晴らしいと思います。江戸先生と与謝野晶子・ 鉄幹とお親しかったことは、全く知りませんでした。改めて江戸先生を偲ぶことがで きて、本当に感謝です。
新さまは、金沢にお住まいなのでしょうか。今後、交流させていただければと願って おります。
石垣蔦紅こと、
Emiko Ishigaki Perry

                     祖母、江戸さい子の思い出として上のようなメールを石垣蔦紅先生から頂きました。

「かりうど」の時代 石垣蔦紅 ホームページ



                    
  あ と が き

  (一)

 私は十八歳のとき、与謝野晶子の同窓であった祖母の妹、江戸きい子(歌人) より手ほどきをうけて、短歌らしきものを作りはじめました。処女作にこんな のがあります。

山行けばつつじ花咲く雲仙にうつくしかりき火の国むすめ

火の国のここ不知火をあとにして別府航路の船は銅羅うつ (修学旅行)

例によって例のごとしで、「仲々の文才で将来が楽しみです。」などのおだ てにのって今日までの二十五年間、空白期はありましたが作歌を続けておりま す。  むろん歌集を出そうなどという考えはなかったのですが、私の不器用な人生 の中で、私が何を考え、何を苦しみ、何に感動したかということを、ふたりの 子どもたちが大きくなったとき、わかってもらいたいという気持ちから、一冊 の歌集にまとめておこうと思いました。私は、十三歳のときから四十三歳の現 在に至るまで、生活記録文ともいうべき「日記」を付け続けておりますが、そ れとは別に日本の伝統的短詩型文学である短歌という形式で、私の生きた証(あかし)をのこしたいと思いました。私は短歌を愛しておりますし、今後も短歌を明日の 文学として後代に伝えて行きたいと思うからです。

 もう一つの理由は、新日本歌人協会に入会して、丁度十年目になるという節(ふし) でもありますので、再出発の決意もこめて、まとめることにしました。

----- 後略 -----


                     江戸さい子の姉(冨永みつ、後に俣野美津子)が祖母に当たる楠本利夫氏の処女歌集「土笛」(新日本歌人協会発行、1981年5月1日発行)のp.216の「あとがき」より抜粋

障害者問題研究所 ふれあい広場 楠本利夫 ホームページ



                    

                                         

                     江戸さい子の姉(冨永みつ、後に俣野美津子)が祖母に当たる俣野肇氏より上のようなメールを頂きました。



                                                              

                     俣野肇氏所蔵の江戸さい子の短冊をコピーして戴いたもの(左、中央)とそれらの保管ケースの板に記された武島羽衣のものと思われる短歌(右)
(注)「俣野肇の入学を祝いて」の短冊の歌の字体は江戸さい子のものとは違うようである。これは俣野肇氏の私信(ひょっとしたら、父に頂いたお手紙にあったお歌を父が写したものかもわかりません、、、、、)にもある通り、肇氏のお父様が書き写したものかも知れません。



                                         
                                         
                                         
                                         
                                         

                     俣野肇氏所蔵の江戸さい子の色紙をコピーして戴いたもの

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